宇土市名誉市民

2021年12月09日

宇土市章


近藤 民雄(こんどう たみお) 昭和37年推挙

 <元明治大学総長近藤民雄

 宇土第135国立銀行に勤められた後,東京の弁護士事務所で働きながら明治大学で学び,明治39年に司法試験に合格され,弁護士として開業。昭和7年に明治大学の教授となり,21年には同大の総長兼理事長に就任され,今日の明治大学の隆盛の基礎を築かれました。(昭和42年7月21日没)





森本 貫一(もりもと かんいち) 昭和37年推挙

 <高度経済成長を支えた経済人森本貫一

 大正4年九州大学応用化学科を卒業後,日本最初の板ガラスメーカー「旭硝子」に入社。昭和21年に社長に就任後,2期17年の長きにわたって社長の重責を担われました。その間,テレビのブラウン管用ガラスバブルや,自動車用加工ガラスの生産など,時代の花形産業として日本の高度経済成長に寄与されました。(昭和54年9月26日没)





小畑 惟清(おばた いせい) 昭和37年推挙

 <日本産婦人科学界の巨星小畑惟清

 東京帝国大学医学部を卒業後,郷里の先達である浜田玄達の東京駿河台・産婦人科浜田病院の医員となられました。明治43年にドイツへ留学,帰国後は浜田病院院長に就任。生涯に発表した著書・論文は53編に及ぶとともに,産婆学校でも精力的に教壇に立ち,3,000人以上もの助産婦を養成されました。また,戦後は東京都医師会長,日本医師会長などの要職を歴任されました。(昭和37年7月23日没)




宮田 利七(みやた りしち) 昭和43年推挙

 <人づくりに精魂を注いだ光徳の人宮田利七

 氏子の衆望に応えて21歳のときに神職となり,翌年網田神社の宮司に就任。以来,老齢で辞職されるまで60年の長きにわたり神徳の高揚に努められました。その間,神社を人づくりの場にしたいと始められた早起参拝は40年間続き,多い時では300人を超える参加者が氏の講話に耳を傾けました。(昭和52年6月20日没)





大和 忠三(やまと ただみ) 昭和60年推挙

 <初代宇土市長大和忠三

 昭和33年に初代宇土市長に就任以来,連続6期24年の長きにわたり,市政発展に尽力。その間,「文化的田園工業都市づくり」をキャッチフレーズに,優れた行政手腕で公共施設の建設,工場誘致,道路やライフラインの整備,農漁業の近代化など様々な施策に積極的に取り組み,今日の宇土市の礎を築きあげられました。(昭和60年6月4日没)




門田 正三(かどた まさみ) 昭和63年推挙

 <元海外電力調査会会長門田正三

 昭和13年に東京電力の前身,東京電灯に入社。東京電力副社長や電源開発株式会社の総裁を歴任。太平洋コールフロー推進委員会会長,統合エネルギー調査会会員などの重要な職務を兼務し,日本経済発展に貢献されました。(平成12年5月26日没)






石井 方二(いしい まさじ) 平成14年推挙

 <地唄三弦の駒・撥製作者石井方二

 昭和11年に父の後を受けて家業を継ぎ,以来60年にわたり三弦の駒・撥作りに心血を注がれました。駒の腹側に金や銀をはめ込み,高さや形にも工夫を凝らし,撥にも改良を加え,余韻のある音色作りに成功。石井駒・石井撥と呼ばれ,全国の一流演奏家にも愛用されました。(平成17年3月23日没)






源 了圓(みなもと りょうえん) 平成14年推挙

 <日本思想史学界の大樹>源了圓

 京都大学文学部卒業後,日本女子大学,東北大学,国際基督教大学教授,オックスフォード大学客員教授などを経て,東北大学名誉教授に就任。日本思想史,とくに江戸時代の思想と日本文化論を主な研究対象とし,広い視点から多くの意見を取り入れ,史料に基づいた実証的な研究を進め世界的に活躍されました。(令和2年9月10日没)



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