日本の名水百選
江戸時代、宇土の城下の飲み水は水質が非常に悪く、街の人々は毎日の飲み水に大変困っていました。
当時の藩主だった細川行孝公は、街の南西部にある轟水源から松橋焼の土管を使った水道を造って、藩士の家々まで飲料水を引く計画を立てました。長さ43センチの丸い土管を総延長4.8キロメートルもつなぐ大工事で、寛文3年(1663)に完成しました。
しかし、その後100年ほど経つと傷みが激しくなり、5代藩主興文公のとき、土管を網津産の馬門石(まかどいし、阿蘇溶結凝灰岩)製の石の樋管に取り換える大改修を行いました。この管は「コの字型」にくり抜いた石に板状の石を被せ、その繋ぎ目を「ガンゼキ」という接着剤で接合したものです。大改修であったため財政的な負担も大きかったようですが、石の樋管は壊れにくく、また組み合わせ式の管を採用したことにより維持管理が非常に楽になったといいます。
武家屋敷には1戸毎に水を蓄えるための井戸が設けられ、町内には共同の井戸がつくられ、宇土の人々の生活を潤しました。
この轟泉水道は、今なお使われている上水道では日本最古といわれ、今でも100戸程の人々が生活用水として利用しています。また、この水道の水源となっている轟水源は、このような歴史的価値も認められて“日本の名水百選”にも選定されています。
轟水源一帯は、轟泉自然公園として整備されています。大太鼓収蔵館の上にある轟御殿(宇土細川家の菩提寺跡)は桜の名所として市民に親しまれており、轟泉資料館では轟泉水道の資料が展示されています
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