轟泉水道物語

轟泉水道物語

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今からおよそ340年ほど昔の江戸時代、第4代将軍徳川家綱公のころのお話です。

そのころ宇土を治めていたのは、細川行孝(ほそかわゆきたか)公という殿様でした。

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当時、宇土の町の飲み水は塩分が多く、水の質が大変悪かったので、飲み水として使用できる井戸もなく、人々はとても困っていました。

行孝(ゆきたか)公は、このことを大変心配し、町の人々がおいしい水を飲めるようにする良い方法はないものかと考えました。

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宇土の南西部には白山という山があり、そのふもとに、たくさんの水が湧き出ている所がありました。

その場所は、轟水源(とどろきすいげん)と呼ばれ、村人の憩(いこ)いの場所となっていました。

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行孝(ゆきたか)公は、水道を作ってこの美しい水を約3キロ離れた宇土の町まで引けないだろうかと考え、家老に命じて調べさせました。

当時は土木工事の技術も進んでおらず、今のように便利な機械もなかったので、大変難しい工事になると思われましたが、飲み水に困っている人々の苦労を思うと、じっとしてはいられません。

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さっそく水源地の開発にとりかかり、まず、武士たちの家々に飲料水として水道を引くことから始めました。

水源から水道管をつなぎ、地中に埋め込む工事を行った村人たちは、やぶで覆(おお)われた土地を開墾(かいこん)するのに一苦労でした。暑い日も寒い日も休むことなく、雨の日には蓑(みの)をまとって工事に精を出さなければなりませんでした。

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水道管には松橋焼と呼ばれる焼き物の土管を使いました。土管は直径が20センチ、長さが43センチの丸い筒で、全部で1万2千本も使われたそうです。土地の高いところは掘り下げ、低いところには土を盛って塘(とも)をつくり、土管を埋めていきました。この塘(とも)は、水道塘(すいどうとも)とよばれています。

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この水道は約4カ月をかけて完成しました。武家屋敷にはそれぞれ井戸が作られ、水道管から水が送られました。

町の人々のためには、共同井戸が作られ、誰でも手軽に利用できるようにしました。武士も町人もこの水道のお陰で、冷たくきれいな水を飲むことができるようになり、大変喜びました。

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しかし、この水道も100年ほど経つと、土管が傷んで水が漏れたり、濁ったりするようになってきました。

第5代藩主の細川興文(ほそかわおきのり)公は、この様子を知り、改修工事をしようと決心しました。

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興文(おきのり)公は土管に代わるものはないかと考え、網津町の馬門(まかど)というところで採れる、ピンク色の石に目をつけました。この石は馬門石(まかどいし)と呼ばれ、大昔から大王の棺や、神社の鳥居などに利用されてきた石でした。くりぬきやすく、土管よりもはるかに丈夫なすぐれた石です。

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いよいよ改修工事が始まりました。石工たちは、馬門石(まかどいし)を約40センチメートル角、長さ80センチメートルの長方形に削り、溝を彫って、管を作りました。そして、管の上には、同じ馬門石(まかどいし)のふたが乗せられました。管と管は、ガンゼキと呼ばれる接着剤を使ってつなぎ合わせました。このガンゼキは、水の中でも固まるという特殊な性質をもっていました。

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この水道にはいろいろな工夫が凝(こ)らされました。水道管のあちこちに、石でできた、桝(ます)と呼ばれる貯水槽が作られました。これによって、桝(ます)と桝(ます)の間で管が壊れたときの発見や修理がしやすくなり、桝(ます)にたまった水は、消火用水として使用されました。また、ところどころに水量を調節するための落ち口が設けられました。落ち口から流れ出た水は、田畑に水を引き、土地を潤すための灌漑用水(かんがいようすい)として利用されました。

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この改修工事は西暦1769年に完成しました。轟水源地(とどろきすいげんち)のわきには、再修轟泉碑(さいしゅうごうせんひ)が建てられ、この一大改修工事のことを今に伝えています。この碑(ひ)は、永遠にこの水源に水音がとどろき、勢いよく流れ続けるさまを見守り続けることでしょう。

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この水道は轟泉水道(ごうせんすいどう)と呼ばれ、以来ずっと宇土の町を潤し続けてきました。そして今でも宇土の100戸ほどの家で生活用水として使われています。轟泉水道(ごうせんすいどう)は、現在、日本で使われている上水道の中では最も古い水道です。

轟水源(とどろきすいげん)は、近年日本名水百選にも選ばれ、宇土市内外から毎日たくさんの人たちが水を汲みに訪れています。そして、今も昔も変わらず人々の憩いの場所となっています。

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