大王のひつぎ
1
今から約8万年の昔、阿蘇山は今よりもっともっと大きな山でした。
ある時、その阿蘇山が大爆発を起こしました。真っ赤に燃える溶岩は火砕流(かさいりゅう)となって一気に山をかけ下り、谷を埋め、どこまでも流れていきました。
そして、そのうちの一部は、宇土市網津町の馬門(まかど)という場所で冷えて固まり、ピンク色をした石ができました。
2
そしてとても長い年月が経った、西暦531年のことです。
ある日突然、有明海に大きな船がやってきました。それは今まで見たこともないような立派な船でした。
その船の中から、腰に剣を差し、身分の高そうな格好をした男たちが降りてきて馬門の村人たちに言いました。
「先日、大和の大王が亡くなられた。大和でうわさに聞いている赤石で大王のひつぎを作ってもらいたい。できるだけ巨大なひつぎを大急ぎで作ってくれ。」
3
それを聞いた石工は言いました。
「では、まず山へ行き、石材の大きさと色を見ましょう。」
石工は大和の役人を、赤石の採れる場所へ案内しました。
「この石は色もよく、大きさもひつぎを作るのにちょうど良い。よし、これで作ってほしい。」
と、崖にそそり立つピンクの岩を見て役人が言いました。
4
石工たちは、昼夜を問わずひつぎ作りに精を出しました。
「大王さまのひつぎを作れるとは、なんと名誉なことだ。素晴らしいひつぎを作ろう。」
馬門で採れる石は、普通の石に比べると柔らかく、容易にいろいろな形に削ることができました。石工たちは、鉄の斧やノミを使って石を彫り、短期間で家形のひつぎを完成させました。
「よし、仕上げは大和に帰ってから行うので、すぐ船に乗せてくれ。」
5
出来上がったひつぎは、海岸まで「修羅」と呼ばれる木のソリに乗せて運びました。
石のひつぎは大変な重さです。
「そーれっ。」
何百人もの村人が総出で、力を合わせて引っ張っても、少しずつしか動きません。
何時間もかかって、やっと海の近くまで運びました。
6
海岸に着くと、有明海の潮は引いていて、船は砂浜の上に固定されていました。船のうしろにはイカダが結び付けられています。
ひつぎは、このイカダの上に乗せられ、海に落ちないように蔦(つた)のロープでしっかりと結びつけられました。
しばらく待つと、満ち潮になってきました。
満潮になった時には、船もイカダも浮き上がり、漕ぎ手も準備が整っていました。
7
「いざ、大和に向けて出発だ。」
満ち潮から引き潮に変わるのを待って、勢いよく沖へ漕ぎだしました。
「そーれっ、そーれっ。」
漕ぎ手たちは、船の両側に並んで力強く櫂(かい)を漕いでいます。船は雲仙の頂を右手に見ながら、西へと進んで行きました。
8
数日後、ひつぎを運ぶ船は博多に着きました。しかし、玄界灘(げんかいなだ)は荒れる日が多く、なかなか出航できません。もう何日も船は岸に繋がれたままです。
「このままでは亡き大王のお葬式に間に合わないぞ。」
「早く風がおさまってくれないものか。」
大和の役人たちはうらめしそうに海を見つめて言いました。
数日後、やっと波が穏やかになったので、出発することができました。
9
やがて船は現在の関門海峡のあたりまでやってきました。大和への旅の中で、ここが一番の難所です。
「ここを越えれば、あとは波の静かな瀬戸内海だ。みんなで力を合わせて乗り切ろう。」
一行は、潮の向きが瀬戸内海のほうへ変わるのを待って、いざ船を漕ぎだしました。潮の流れに乗って慎重に漕ぎ進み、やっと瀬戸内海に入ることができました。
10
数日後、一行は摂津の国の海岸に着きました。現在の大阪府辺りです。
そこから船は淀川を上り、大王の墓が造られている場所の近くまで来ました。
人々は、船を見つけると、駆け寄ってきて口々に言いました。
「おお、なんと美しい色をした石だろう。偉大な大王様にふさわしいひつぎだ。」
11
大王の墓をつくるために何千人もの人々が働いています。
墓は完成に近付いており、巨大な丘が築かれていました。周囲には巨大な家形の埴輪(はにわ)や人物の埴輪(はにわ)も並べられています。
12
墓は、円形と長方形を組み合わせた前方後円墳と呼ばれる形をしていました。
大きさは全長350メートルで、周りに二重の堀をめぐらしています。
運ばれた馬門石(まかどいし)のひつぎは、ここで最後の仕上げをほどこされ、墓の内部に石を重ねてつくられた部屋に納められました。
13
墓の造営は完了し、大王の葬儀が盛大に行われました。大王の遺体は、高価な装飾品や鏡、剣などとともに、はるばる九州から運ばれた馬門石(まかどいし)のひつぎに安置され、永い眠りについたのです。
このお墓に埋葬された大王は、第26代継体天皇(けいたいてんのう)です。お墓は、後に今城塚古墳(いましろづかこふん)と呼ばれるようになり、現在の大阪府高槻市にあります。
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このようにして、古墳時代から飛鳥時代にかけて、馬門石(まかどいし)のひつぎは近畿地方、中国地方などへ運ばれ、天皇や豪族の古墳に納められました。
その中でも最も大きいものは、琵琶湖の東側にある円山古墳の石棺で、長さ2.8メートル、幅1.4メートル、高さ1.7メートルもあります。
今から1400年以上も昔、このように巨大な石棺が海を渡って運ばれたのは驚くべきことです。
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このことは、文明の発達した現代の私たちにとっても大きな謎でした。そこで、実際に馬門石(まかどいし)の石棺と修羅、それに古代船と台船を作って、宇土から大阪までひつぎを運ぶ実験を行いました。
2005年7月24日に熊本県宇土市を出港、途中22ヶ所の港に寄港し、8月26日、無事大阪の港に到着することができました。
たくさんの人たちが知恵を出し合い、力を合わせて実験航海は成功しました。