干拓にささげた一生

干拓にささげた一生

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加悦儀三郎(かえつぎさぶろう)は、雪が降りしきる西暦1806年12月29日に網田村(おうだむら)の庄屋の家に生まれました。

17才の時、父を失った儀三郎(ぎさぶろう)は、18才の若さで庄屋の跡を継ぐことになりました。

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この若い庄屋には、大きな心配事がありました。それは、網田(おうだ)の田畑の面積が狭く、村人たちが食べるお米も十分にはとれていなかったことです。

日照りの年などは食べるものにも不自由するため、儀三郎(ぎさぶろう)は、村人たちの不安を取り除こうと考えていました。

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儀三郎(ぎさぶろう)は、自分が先頭に立ち、鍬(くわ)をとって森や林を切り開き、田や畑を作り始めました。20数年もたち、どうやら食料は足りるようになってきましたが、儀三郎(ぎさぶろう)はまだ安心できませんでした。

「もし凶作になれば、村人たちの食料はすぐになくなり困ってしまうだろう。」と考え、庄屋としての責任に日夜心を痛めていました。

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54歳の年の春、儀三郎(ぎさぶろう)は小高い山の上から有明海を見下ろし、広々とした有明海の干潟をうらやましく思っていました。

「あの岬からここの山の鼻まで堤防を築いたら、広い田や畑が出来るものを。」と思えば思うほど、干潟がほしくてなりませんでした。

あの広い海の一部でも田畑として使えたら、村人たちの暮らしも楽になるのにと思ったのです。それには、有明海の干拓をすることが一番だと考えました。

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儀三郎(ぎさぶろう)の眼は干潟に吸い込まれ、新地の堤防工事の願望は火の如く燃えてじっとしていられなくなりました。

それでまず、家族や親族の人たちに一大決心を明かし、協力援助するようにお願いをしました。

それから殿様の許しをもらいました。

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村人のなかには、広い海を干し上げるなんて、と反対する人もいましたが、いよいよ工事を開始しました。

工事は両岸から始め、中ほどの水門で潮水が引いたのを見計らい、潮止めをするという方法を採りました。

儀三郎(ぎさぶろう)は人夫(にんぷ)と一緒に朝早くから夜遅くまで働き続け、夜も家に帰れない日もありました。

「これが済めば、村人たちの暮らしが楽になる。」とその一念で頑張りました。

反対していた人たちも心をうたれ、一人また一人と仕事に加わりました。

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工事にはたくさんのお金がかかりました。殿様からお金をもらいましたが、それでも足りず、儀三郎(ぎさぶろう)は自分の家や財産を売り払いました。

さまざまな苦労を重ね、西暦1863年、ついに有明海の干拓が終わり、約64ヘクタールの広さの干拓地ができました。

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堤防は何度も台風や大雨で壊されましたが、そのたびに苦労して懸命に修復しました。

儀三郎(ぎさぶろう)がお金のことで熊本の宿にいたときのことです。

夜からの強風を不安に思いながら朝早く起きて朝食を済ませたとき、使いの者が儀三郎(ぎさぶろう)に、堤防が壊れたことを告げに来ました。儀三郎(ぎさぶろう)は、「よかった、よかった、けが人がなくて何よりじゃ。心配するな、遠い夜道ご苦労であった。」と、むしろ使いの者に心配させまいと心を使いました。

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その後、儀三郎(ぎさぶろう)は干拓した新地を開墾(かいこん)し、田となるように苦心し、田平城跡の山腹を南より北に高さ約1メートル80センチ、横約1メートル20センチ、長さ約250メートルを掘りぬいて網田(おうだ)川の水を引いて新地にそそがせました。

この貫穴(ぬきあな)は現在もとうとうと水を流して、新地の田を養っています。

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また、儀三郎(ぎさぶろう)は村人たちの幸福を祈る思いで、村の中央を流れる網田(おうだ)川に架かる土橋が、大雨のたびに押し流されているのを心配して、眼鏡橋を掛けました。

今この橋のそばに1基の碑(ひ)が建っています。碑面(ひめん)には「旭橋(あさひばし)」と書かれ、その裏面に、「幾千代(いくちよ)も、みんなが安心して渡れるように」≫と書かれています。

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儀三郎(ぎさぶろう)は、西暦1891年8月25日、86歳でこの世を去りました。

一生を干拓に捧げたこの人の家や財産は、すっかり無くなりました。しかし今、網田(おうだ)の田畑の豊かな稲穂を見るとき、儀三郎(ぎさぶろう)がこの世に残した本当の財産は、実りを多くしていることがわかります。

今、新地地区の竜王社境内には、加悦儀三郎(かえつぎさぶろう)の記念碑(ひ)が建っており、干拓地の安全を見守っています。

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