8月23日(10時35分・別府港出港、17時30分芦屋港入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月23日(10時35分・別府港出港、17時30分芦屋港入港)

 前線の影響で昨日とはうって変わっていやな天気で、風と波が気になる。台風に備えての避難移動という緊急性に加え、現代航路が設定されている明石海峡通峡、しかも風波に弱い古代船を抱えているので曳航隊形ですみやかに芦屋に急ぐのが海の常識というもの。しかし、もともと常識で動いている現代社会にイタズラを仕掛けているような「夢の実験航海」船団としてはそうはいかない。そのイタズラ坊主どもが昨日考えたのは、「明石海峡大橋の下を漕いで大阪湾に入るぞ!」。

 明石海峡での速やかな通航は、これまでの平戸瀬戸、関門海峡、来島海峡(しまなみへ迂回)同様、海保との約束事。だが、海峡はこれが最後。それに海沿いに五色塚古墳という有名な前方後円墳が鎮座している。実験航海船団としては、たとえ海保からお小言食らってもぜひ海峡漕行をやってみたい。ただ、速く、渦巻く潮と大型船航路。イタズラでも安全確保のルールはある。「航路外の隅っこの方を通ればいい」「水深は大丈夫か」「いつでも『海王』を救出できるように安全ロープをつないでいようか」などなど協議して、いざ、明石海峡へ。

 海保との事前交信では、漁船が多いので警戒のため巡視艇を出すとのことだったが、遠目には漁船もいなく、巡視艇もいない。「やれるやれる」と、クール航海士からいまや熱血突進航海士に名を変えた(もともとそういう性格だった)長田航海士が大張り切り。大幸丸から「いつ『海王』を放すかとさかんに指揮船・紺碧に催促してきて、いやが応でも盛り上がる。ところが、明石大橋へと近づくとなんといままで見えなかった巡視艇が待ちかまえているのが見えてきた。「どうしようか」、「これから台風でお世話になるし」「やっぱり、目の前でやるのはまずいよね」。親にイタズラが見つかった時の子供のように、全員シュン。恐れ入りましたと、明石海峡をそのまま通峡した。

 海から見た五色塚古墳は回りを現代建物に囲まれているせいか、陸地で見たより小さく見えた。だが実験航海最後の海である大阪湾で1500年前の姿で迎えてくれた古墳を見てジンとくるものがあった。母船・平成2号のへさきで、この実験航海を発想してみんなを巻き込んだ張本人、高木恭二、宇野愼敏両君が満足そうな笑顔をしているのが印象的だった。

 緊急移動中だが、明石海峡は素通りしてしまったし、せっかく大阪湾に着いたのだから、「大王の海」での初漕ぎをどこでやろうかと進んでいたら格好のところが見つかった。発展する神戸の象徴?、ポートアイランンド沖だ。「海王」に「有明」をつないで、実験航海隊形。いままで東シナ海の海原、玄界灘の波しぶき、そして瀬戸内海の島々を背景に漕いできた「海王」+「有明」だが、いまはその向こうに神戸のビル群。よくぞまぁ、ここまで来たもんだと、また胸がジン。船長さんや水大生ら船団員全員がその気持ちだろう。

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