8月20日(9時15分・玉島港出港、16時15分牛窓港入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月20日(9時15分・玉島港出港、16時15分牛窓港入港)

 玉島(倉敷市)は吉備の国。その奥に吉備王の墓とされる全国で4番目の大きさの造山古墳があり、5世紀前半ころの阿蘇灰色石の石棺が見つかっている。周囲には肥後式の石室の古墳もあって、早くから吉備王と火の国勢力が同盟していたことがわかる。そして今日の目的地である牛窓(瀬戸内市)には海の豪族の古墳群の背後に阿蘇ピンク石棺が入っている築山古墳が控えている。畿内以外では唯一のピンク石棺だ。昨日沿岸を通った笠岡、鴨方は、日本書紀によると九州・熊襲征討に派遣された吉備王の弟・鴨別が支配した地でもある。吉備中心部からの西の「玄関」は、東から湾入する岡山湾よりは、西の玉島付近にあっただろうと寄港地に選んだ。

 そこから阿蘇ピンク石棺の牛窓へというのが今日の海路だ。だが、水島航路や下津井瀬戸があり、現代航路が錯綜し潮流が速い瀬戸を通るので出港後はしばらく曳航隊形。岡山湾の湾口のフェリー航路を過ぎたところで吉備王に敬意を表して実験航海隊形をとる。今日のテーマは石棺身積載船「火の国」を曳くこと。大西-鞆の浦間で「火の国」を曳いて懸命に漕いでくれた広島商船高専に代わって、今日からは神戸大学海事科学部(旧・神戸商船大学)の応援漕ぎ手が参加。その新手を「火の国」をつないだ「海王」に加えて、潮流が牛窓方向に流れる追い手(連れ潮)となる時間帯をねらって挑戦した。

 全舷で漕ぎだしたところ、速度は3.5ノットでた。潮の速度は1.4ノット。17日が潮がないところで2ノットだったから、ほぼ潮流分速くなった。「火の国」の無条件曳航速度は2ノットというデータだ。ついで持続型の半舷漕ぎをしばらく試す。結果は時間と距離とを換算した巡航速度が3.1ノット。潮流の速度は1ノット程度に落ちていたのでこの数字。再度挑戦と、全舷漕ぎに戻して頑張ると今度はマックス4.5ノット。伴走船の速度計測では、4.3、3.8、また4.1と力強い漕ぎ。水産大と神戸大の対抗漕ぎで学生さんの元気がでたか。

 にわかに黒雲が近づいてきたかと思うと、大粒の雨が降ってきた。砂に乗り上げての雨よりは、力一杯漕いだあとの雨の方がもちろん気持ちがいい。漕ぎ手たちが「どうだ!」と言わんばかりの顔で指揮船、母船に上がってきて、船団は牛窓へと向かう。

 そう言えば、いつかの夜のミーティングで大橋さんが言っていた。「もう数字はよかと。みんなの気持ちの問題ですたい」。長い航海で様々なことがあった。この船団は、その苦難を乗り越えてここまで重い石棺を運んできた。応援組を含めて漕ぎ手の学生たちの輝く表情が、やはりこの船団の力だ。吉備王さんよ、現代の若者もやるもんじゃね。

この記事へのお問合せ

担当部署:宇土市役所 文化課

電話番号:0964-23-0156