8月19日(9時10分・鞆の浦出港、16時20分玉島港入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月19日(9時10分・鞆の浦出港、16時20分玉島港入港)

 今日は、古代人が漕行にどう帆走や潮乗りをからませて航海していったのかの実験。「古代人はどうやって石棺を運んでいったか」に挑戦する実験航海。前半は古代船団のデータを、後半は古代航法のデータを。それを総合すると古代の航海のおおよそが復元できるだろう。いままで実際の海でのそんなデータの記録はない。単に「漕いだ」「頑張った」では一時の夢。やはりこの体験を歴史に残さないと。

 と張り切って「海王」に帆柱を立てて鞆の浦出たものの、予報と違って風はさっぱり。でもそこはこれまでの経験で折り込み済み。帆はたたんだまま、やっさか、もっさか漕いでいくことにした。途中、福山港からの航路を曳航隊形で突っ切っていると何だか風が出てきた様子。そこで「いざ行かん」と颯爽と帆を広げた途端にぴたりと止んで、帆はだらりの帯の舞妓さん状態。そこでまた漕ぐことにしたものの、前に進むことで帆への逆風をつくりだすことになって、「こんな無駄なことやるわけない」と帆をたたむ。それならばと、吹いてくるはずの風上方向に進路を取り、風上に行ったら帆を上げて風下に向け帆走という三角(ジグザグ)航法を取ることにした。ところが、風上に向けている時は風(つまり逆風)が吹くのだが、風下にへさきを向けて帆を上げると風が止む。なぜか知らんが「海王」にはいじわるな風の神がつきまとっているらしい。おまけに午前中の力漕がたたったか、かんかん照りの「海王」の中で応援漕ぎ手の一人がダウン。指揮船・紺碧に収容して氷枕、氷水冷やしタオル、女子端艇部員けんめいの団扇風で快方に向かい、指揮船のキャビンで海図の勉強をしてもらうことにした。

 風待ちと微風帆走、潮流し、半舷漕行のミックスで「今日はのんびりとした実験航海」と思っていたが、玉島入港後、ハプニング。船団の係留場所と入港歓迎式の場所が違い、歓迎式の方は干潮時は泥砂ながら浅瀬が多いところ。「海王」単船で向かわせようとしたが「石棺もぜひ見たい」との地元の希望で、水先船が付くならと「有明」曳航にOK。ところが手違いで水先船は「海王」が着岸したあと帰ってしまい、歓迎式と乗船体験を終えた「海王」は「有明」の曳航ロープをたぐりながら自力で浅瀬に挑戦するはめに。案の定、棒梶が海面下1.5mほど突き出している「有明」が浅瀬に引っかかって動かなくなり、それに気を取られているうちに「海王」も浅瀬に乗り上げてしまった。折悪しく夕立が降り出して全員びしょ濡れ。警戒船・大幸丸などでなんとか引き出したが、沖も怖いが岸辺も怖い。幸い、名物の桃源太鼓や良寛踊りで玉島の人たちが励ましてくれたおかげで意地悪な風の神や油断大敵の浅瀬の神など忘れてしまい、名酒でぐっすり。最近は寝ている時に夢を見なくなった。たぶん昼間、「夢のような実験航海」の悪夢にうなされ続けているおかげだろう。

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