8月16日(9時35分・大井浜来島出港、14時40分・宮窪水軍浜入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月16日(9時35分・大井浜来島出港、14時40分・宮窪水軍浜入港)

 瀬戸内海の潮の速さは鳴門海峡が第1、来島海峡が第2といわれる。古代船団をその潮に乗せていきたいが、瀬戸内航路の大型船が錯綜する来島海峡を通ろうとすると関門海峡同様に曳航隊形を強いられることになる。だが、そこを通らなければ大阪へと向かえない関門海峡と違い、大西から島伝いに東に行くにはもうひとつのルートがある。しまなみ海道(芸予諸島の間をぬう海路)だ。ここでは島々の間の潮が来島海峡同様速いし、なにより現代航路の規制がない。古代「大王のひつぎ」船団がどちらのルートを取ったかの確証はなく、古代航海を実験するという学術的意義とともに冒険心旺盛な実験航海船団としては曳航隊形で面白みもなく来島海峡を通過するよりは、古代越智氏以来の海賊の本拠地であるしまなみ海道を探訪しながら潮乗り航法を試すことにし、中世・能島村上水軍の海城がある宮窪(今治市・大島)への海路を選択。宮窪にある村上水軍博物館の矢野均館長と宮窪漁協の高取武則組合長に寄港地協力を依頼したら大乗り気、それならばと自慢の水軍船を迎えに出してくれることになった。

 「海王」が石棺積載船「有明」を曳いて大西から漕ぎだして1時間。航路規制にかかる来島海峡西側で曳航隊形をとって大型船を警戒しながら本州側に北進、岡村島・観音埼から東に転じて沿岸ぞいにしまなみ海道・大島に向かう。高取組合長の話では宮窪瀬戸の潮流は午後から連れ潮だが、夕刻の最高時は9ノットもあるという。しかも渦を巻き、「手漕ぎ船では地元の人間でも容易ではない」。櫓漕ぎ船より操船が不自由な櫂漕ぎ船は潮があまり速すぎても危険なため、3、4ノット程度である午後3時までの入港にして、「今日は潮乗り航法で海賊船と競争だ」と漕ぎ手諸君に言いながら水軍船との待ち合わせ地点、伯方大橋に。

 待つことしばしでやってきたのは6丁櫓和船の復元小早船2艘。そろいのはっぴの漕ぎ手、へさきには鎧かぶと姿の海賊の頭目が乗っている。こちらも負けじと杉村船団長が古代服で「海王」のへさきに立って応じ、古代と中世の海での遭遇となった。だが、「タイムカプセル海戦」は宮窪側から貸してもらった上納米1俵で収めて、仲良く潮に乗って漕ぎだす。「有明」を曳く「海王」漕ぎ手の「ハイサッ」「ソーレ」のかけ声に合わせて海賊船からは銅鑼が打ち鳴らされてにぎにぎしく、中世海城跡の能島の前をまたたく間に通過して無事宮窪漁港へすべり込んだ。

 救急搬送者も出すほどに一生懸命やってきた実験航海。その後半の初日は、海賊(失礼、「水軍」でした)と楽しく肩を組んで潮乗り航法成功の祝杯を挙げ、暮れていった。

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