8月15日(大井浜来島に停泊中)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月15日(大井浜来島に停泊中)

 今日はこの「夢の実験航海」の主役である端艇部の若者たちと名航海隊長・下川助教授、そしてOBの航海士ら水産大学校の部隊が帰ってくる日。夢を食うバクのような考古学の人たちには船団運営は「専門外」。杉村船団長、宇野愼敏実行幹事は船上で踏ん張っているが、多くは陸上支援に汗をかいている。私を含め、水大メンバーのイルカのような機敏さにはほど遠く、即製船乗りバクと陸のバクとのやりとりは往々にしてトンチンカンなことも多い。

 ともあれ戦後60年の平和の海。夢と現実とトンチンカンが海と陸で混淆一体となった「大王のひつぎ実験航海」、古代妄想と石棺夢想論が知的エネルギーであることには変わりないので、みんなで一緒に最後までガンバロー!

 大井浜・来島岸壁に陸揚げされた古代船を点検に行くと、船底一面についていた海藻がきれいに取り除かれていた。新来島どっくの宮崎育英総務部長のはからいで圧力放水で洗浄されたのだ。これで古代船の「すべり」もよくなるだろう。着岸岸壁や宿舎の世話から補給まで心強く支えていただいている新来島どっくの皆様、ありがとうございます。

 さて、閑話休題・古代船講座の続き。

 問3「丸木船底の接着剤は何?」

 答え:「海王」や石棺積載丸太船の丸太の隙間や割れ目に塗り込んである溶剤は主にアカ(浸透してくる海水)止めのためです。古代にはおそらく縄文時代からあったアスファルトのピッチを塗り込んでいたでしょう。現代はアスファルト溶剤の海での使用は環境保護上法的に禁止されている。安全のため一定程度の風波以上の時や現代船錯綜海域での実験航海隊形を自粛していることも含め、社会のルールを守らなければ実験航海そのものが不可能となる。それに「古代船が海洋汚染」ではさまにならない。

 昨日書いたように、原木事情で2材接合している「海王」の丸木船底は鉄の棒で留めている。接合船の出土例もあり、鉄材を使った物的証拠はこれまででていないものの、武器から工具まで各種の大型鉄器が登場した古墳時代の接合船には鉄材が使われた蓋然性が高いとの判断からだ。最初は出土例がある鎹(かすがい)を使おうとしたが「古代も現代も、海ではそんなもんでは効かん」と和船大工の藤田さんに笑われた。石棺のような重量物を運んだり半島まで漕ぎ渡るための漕ぎ手2列配置の丸木船底に削り出すには直径3ⅿ以上で12m以上まっすぐな原木が必要。古代と言えどもそんな大きな木がしかも人が切り出せるところにふんだんにあったとは考えにくい。継体大王の息子の欽明大王の時にはそんな船を50隻近く半島に緊急派遣しているので中には接合船もあったはず。1975年に古墳後期の埴輪をモデルにして弥生末期に相当する「魏志倭人伝の海」での単船実験航海をした野性号も米松2材の接合船である。「鉄の時代」の大王の船に鉄材の補強がなかったと考えるほうが不自然だと思う。どうしても鉄材が気に入らないなら、古代にあった巨木からの一木船底を復元したものとも考えていい。

 原木の2材は、直径1.5ⅿ以上で12ⅿ以上の直木は今の日本に例えあっても「伊勢神宮のご神木か天然記念物」で入手困難と米松にした。松はヒノキやクスとともに縄文以来の古代船の出土船材中5分の1ほどを占めている。「海王」の原木はアメリカ・オレゴン州の先住民族だけに切り出しが許されている原生林の樹齢500年の木で、芽生えたのはコロンブスのアメリカ大陸発見のころ。大王の時代から大航海時代へと、「海王」の夢は広がる。

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