8月14日(大井浜来島に停泊中)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月14日(大井浜来島に停泊中)

 船団お盆休み2日目の午後は、残留組の5人と大西史談会の人たちとの交流会。話の中で「ここは西風が吹き寄せるところ」というのが面白かった。12日の松山からの航海でも西南西の風が吹いていたが、その風に運ばれてたどり着く波方半島ねもとの大西には海を見下ろす大きな前方後円墳・妙見山古墳がある。この実験航海での航路復元が正しければ、その何代か後の人々が西風に乗ってきた古代「大王のひつぎ」船団を迎入れたのだろう。大和朝廷の半島出兵にも参加した古代豪族・越智氏のころであろうか。旧越智郡であるこの町には今でも越智姓が多く残っている。水産大学校の女子カッター部員も、「越智美容室」なんかで古代風の髪形にしてもらったらいかがだろうか。

 さて昨日の、岸壁公開で見学した市民からの疑問に答える閑話休題・古代船講座の続き。

 問2「古代船の本体(丸木船底)と舷側板の接合にビスを使っているようだが?」

 答え:学術的検証のもとで建造した古代船の本体にビスなど使うヤボなことはしていない。波よけと櫂受けの両方の機能を持つ分厚い舷側板は、木の自重と櫂受けにかかる片舷9本の櫂の重さに漕ぎ手の力が加わり、それに櫂でかく海水の抵抗などの加重がかかって「ビス」などではもたない。そこは和船技術伝統の船釘でしっかり留めてあります。鉄製品は弥生時代からあるが、古墳時代になると甲冑、大刀から工具までふんだんに出土しており、大和の大王級の墓には百本近くの鉄製武器を納めた副葬用の陪塚が造られているほど。いわば古墳時代は鉄の時代であり、「海王」にも丸木船底の接合などに安全の意味もあって鉄材を使っている。船釘のようなものがこの時代にあったかどうかは分からないが、木棺に使った鉄釘も古墳から出土しており、木の接合に鉄材を使用するのは当時の一般的技術と考えている。

 ビスを使っているのは櫂受けの突起の取り付け部分。古代にビスはないが、これは現代の海での危険回避のためにあえてそうしている。あらゆる加重がかかる櫂受け突起は漕行中に破損しやすい。事前の水産大での漕行訓練でも3つ壊れた。もし現代船が行き交う海上で壊れて操船が不自由になった場合、モタモタしていると速度の速い現代船が回避出来ず衝突の危険がある。そこで壊れた部分をすぐ取り換えられるように、抜いたり打ったりの手間がかかる釘ではなく、即座に抜き差しができるビスにした。事故を防ぎ、漕ぎ手の人命を守るためには「学術的正確さ」にも妥協が必要。ビスも釘も機能は一緒なので、現代的条件下での人命を考えれば許容範囲と思う。ただもうひとつ、飾りに立てている古代5色旗の旗布留めのところもビスだ。これは発注した人が和船大工とは別の「古代感覚」がない人で、進水式前夜にあたふたと取り付けに来たのがそのままになっていた。どうも気にくわず釘に替えたかったが忙しさに紛れて忘れてしまい、出航に至った次第。古代旗は優美な「海王」によく似合い市民にも好評なので、まぁサービスの飾りと思ってお許しいただきたい。でも、古代旗のビス以外は、下記の事項も含めて現代的事情によるやむを得ないものと思っている。私としては古代をよく復元した船として95点程度はつけてやりたい。日本海事史学会副会長の松木哲・神戸商船大学名誉教授の採点は「100点満点!」でした。ただし櫂受け突起と古代旗を取り付ける前でしたが・・・。

 その下記の事項、問3「丸木船底本体の接着剤は何?」も同じ人からの質問。答えはまた明日に。

この記事へのお問合せ

担当部署:宇土市役所 文化課

電話番号:0964-23-0156