8月13日(大井浜来島に停泊中)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月13日(大井浜来島に停泊中)

 肉体と精神の疲労が限界に達しようとしている時にありがたいお盆休みが来て、西方浄土とお釈迦様に感謝。はるか?西方の宇土を出航して21日目。なにかもう出航が遠い昔に感じられ、まるで浦島太郎の気分だ。竜宮城でのタイやヒラメの舞い踊りならぬ、海と古代船をにらんでの船上生活。漕ぎ手の労力にはほど遠いが、波に揺れながらいつも立っているので下半身中の筋肉を使い、接舷時のボートフックや腕での相手船体への突っ張りは全身に渾身の力を込める。古代船団は人員不足で副船団長も学生さんと一緒にそうした要員の一人。なにしろ下川隊長自ら操船や船団指揮に加えてそれをやっているので頭がさがる。

 昨日、多くの船団員が故郷に戻ったあと古代船の陸揚げ。3日間の休みなので古代船の海上での管理が大変だろうと、今治市役所大西支所の河野正文さんが荷揚げ岸壁に着けさせてもらった大西運輸に頼んでくれたのだ。大西運輸さんが特性の吊り金具をわざわざ作ってくれ、大型クレーンで積載石棺もろとも丸太船、古代船を吊り上げてくれた。それぞれ還暦後、還暦直前ながら身軽な石田船長と私が岸壁下の丸太船に飛び乗ってどでかいて吊り帯を船底に回す作業を買って出た。波で大揺れの丸太船の先端で海中をのぞき込んで作業をしていると風で寄せてきた「海王」の船体がゴツンゴツンと丸太船に当たって思わず落ちそうになる。そこでエレーベーターのように上下する海抜15㎝の丸太の端に座り込んで短い足を突き出し、古代船が近寄っては蹴り、近寄っては蹴り。そんなこんなで、また普段使わぬ筋肉と筋力を使い果たして3隻終了。

 陸に上がった古代船と丸太船をつくづく眺める。3隻とも船底に海藻がびっしりはり付いていかにも荒海を乗り越えて来て一休み、といった風情だ。古代船も丸太船も海事史の松木哲・神戸商船大名誉教授に相談しながら志賀島の藤田清人さんと一緒に造ってきたものだが、優美な古代船とともに、石棺を載せて荒波にもまれてもビクともしない無骨な丸太船にあらてめて惚れなおす。 休日でゆとりがあるので、寄港地での市民公開で出た疑問に答えよう。

 問1「『海王』には物資を積み込める余地がなく、長い航海などできっこないのでは」

 答え:「海王」は重い石棺積載船を曳かせるため出来るだけ漕ぎ手を多くする構造にしている。いわば機関車役。表現は悪いが18人の漕ぎ手たちが機関車の動力システム、艇指揮と艇長の2人が機関士にあたる。それを収容する以上に船長や船幅を大きくするとそれだけ船が重くなり無駄。半島や日本での出土船材で推定できる古代の船の最長は12ⅿ。「海王」の長さはそれを根拠にしている。古代は動力となる漕ぎ手と重量積載物を一緒に乗せれるようなそれ以上の大きな船の造船技術はなかったと考えられているので、現代の貨物船のようにはいかない。では、食糧などの要員物資はどうしたか。重い石棺に対する浮力を持たせるため船底面積を大きく取った丸太船内の前後には比較的広い空間がある。そこが船団の船倉という想定だ。櫂の予備などの物資とともに、水や糒(干した飯米)、イノシシやシカの干し肉、果物をそこに詰め込んでいたはずだ。寄港地先豪族の特製なれ鮨も入っていたかもしれないなどと考えれば楽しい。石棺積載丸太船は同時に食糧・物資補給船でもあっただろう。

 問2「古代船に金属の釘を使っているのはおかしいではないか」

 長くなったので答えは明日。お楽しみに。

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