8月9日(9時15分・下松港出港、16時35分・佐賀漁港入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月9日(9時15分・下松港出港、16時35分・佐賀漁港入港)

 海はなぎ、風は微風。海の女神がほほえんでいる。この実験航海中では最も静かな海況となった。

 古代航路復元の船団は湾の中央から出る現代航路をとらず、東側の笠戸島と陸地の間のせまい海峡を抜けた。地元の船しか通らない不案内の海峡なので、「海王」を単船漕行させて慎重にゆく。途中から半舷漕行に切り替えて鎌石岬まで1時間。距離は2.5マイルでた。

 これまでの航海では、海が荒れて保安庁との航海基準をクリアできずやむなく曳航隊形をとる場合も多かった。だが、有明海、長崎・三重沖の東シナ海、福田浦、平戸瀬戸を抜けたあとの名護屋までの玄界灘、博多湾内、志賀島から相ノ島にかけての玄界灘でA隊形(「海王」+「有明」)、C隊形(「海王」単船)の実験航海隊形をとって復元古代船団の能力の様々なデータを得ることが出来た。例え曳航隊形でも、うねりや大波で丸太船がどのような状態になるかの「体験」も得られた。

 そして今は瀬戸内海。海の条件が良い今日からは、古代船団の「持続的航行」の試験を続けていくことになる。つまり、漕ぎ手に出来るだけ長く漕いでもらい、「古代船団が1日にどのくらい、いけたのか」に体力勝負で挑戦するのだ。早めの昼食後、漕ぎ手たちは緊張の面持ちで「有明」をつないだ「海王」に乗り込む。「頑張ってくれよ」「大きく漕いだ方が長くもつぞ」。指揮船の操船をしている先輩からの激励が飛ぶ。

 「気合入れろ!」。山田艇長の号令で、いよいよ地獄のレースが始まった。光市・鼓ヶ浦沖から平生をめざして・・・。

 計算外のことが起こっていた。朝は曇っていて天気予報も終日曇り。「この条件なら」と敢行したのだが、実際はカンカン照り。キャビンの温度計は36℃、しかも無風。20分ごとの小休止のたびにTシャツを絞らなければいけないほどに汗が流れ出る。重い石棺船を曳いて漕ぐこと1時間。山田艇長からトランシーバーで「指揮船に上がって日陰で休んでいいいですか」と言ってきた。上がってきた学生の1人が足下がおぼつかない。キャビンに収容して寝かせ、サポートの女子端艇部員が必死のクールダウン。目がうつろなので病院に運ぶことにし、指揮船が猛スピードで30分かけて搬送し港からは救急車。幸い医師の診断は「軽い脱水症状」だった。

 出航前の航海計画発表の記者会見で、クーラーの効いた部屋で青っ白い記者から「人が見ている前だけ漕ぐんではないの」という冷ややかな質問が出ていたことを思い出した。新聞記者なら現場を見てから言って欲しい。これまでの航海、そして船団以外誰も見ていない今日の現場が、彼への答えだ。寄港地の人々への心遣いはあるが、本来、人が見てようと見ていまいとこの実験航海にはなんの関係もない。ただ黙々と、夢と青春をかけたこの航海を続けていくだけ。

 夜、くだんの学生クンは飯をもりもり食っていた。元気を回復してなにより安心。明日からはもっと気をつけよう。そして、みんな元気で大阪に上陸しよう。

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