8月7日(10時10分・三田尻中関港出港、16時15分・下松港入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月7日(10時10分・三田尻中関港出港、16時15分・下松港入港)

 瀬戸内海の女神は少し機嫌をなおして波は静か。それでも7~8ⅿの東風。現代船にとってはたいした風ではないが、舷側板が垂直でしかも前後が大きく高く立ち上がっている古代船はその風圧を受けて押し流される。外洋を渡る対外交流が本格化した弥生時代に、それまでの丸木舟にたくさんの櫂(オール)を付け、かつ打ち込む波を防ぐために考えだされた舷側板とその前後の立ち上がりだが、それで海風をもろに受けることになってしまった。船舶史上の第二段階である原始的な準構造船。姿は美しいが、その操船はやっかいだ。

 考古学と古代史・海事史学、重量物積載に対応する古代丸太船の復元建造などの船舶工学、その船を動かす航海学、そして気象、干満、潮流などの海洋工学。人文科学分野と自然科学分野を総合して挑む実験航海だが、その原動力はあくまで古代船漕ぎ手の体力。古代船「海王」の重さはカッターの5倍の5t。曳航する石棺積載丸太船「有明」は自重3.5tでそれに2.8tの石棺蓋を載せている。ここまでの実験航海で、現代の漕ぎ手の持続体力では日中の航海のうちでせいぜい2時間漕ぐのが限度ということがわかった。風に向かって漕いでは休み、漕いでは休み。休んでいる間に風に押され、潮に流されて元の位置まで戻ってしまうこともあり、体力を消耗する難行苦行だ。

 今日は、徳山湾西にある家老屋敷古墳を海側から確認するため警戒船・大幸丸に古墳研究者の宇野愼敏実行委幹事を乗せて派遣。海岸沿いの海の豪族たちの古墳を海側から見てその立地環境を調査するのもこの航海の一つの目的だ。さて「海王」の方は徳山湾口の航海ルートで単船試験。持続漕行型の半舷交代漕ぎで7ⅿの向かい風に向かうこと1時間。速度は最初は4.2ノットだったが、その後は3ノット台に。ついで笠戸湾で「有明」を曳航すること1時間。2.7ノットほど出て、そのまま下松港に着岸した。

 志賀島で合流した長崎大学水産学部の端艇部の学生さんは、今日の漕ぎでお別れ。水産大学校端艇部と仲良く半舷ずつ漕いでくれ、お疲れ様でした。海の魔物は静かになり、船団の魔物の方も、学生さんたちには焼き肉食べ放題、船長さんたちは夜のカラオケ合戦と世代別対応策で。モダンジャズが好きな大橋アドリブ船長の合いの手で下川隊長が美声を聞かせていたが、何を歌っていたか酔っぱらって忘れてしまった。魔物さん、おやすみなさい。

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