8月3日(9時30分・志賀島港出港、16時05分・大島港入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月3日(9時30分・志賀島港出港、16時05分・大島港入港)

 宇土出航以来、天気には恵まれているが波には悩まされてきた。その波が、今日は静かだ。海の神様・ワタツミ神が鎮座する志賀島から、航海の神様・宗像女神が鎮座(宗像大社中津宮)する筑前大島へ。航程は約20マイル。

 岸壁で漁協の矢田部支所長がちぎれるように手を振ってくれ、水先案内船「大黒丸」の鞆で古代船、丸太船の建造者である藤田清人さんが伴走。志賀島北側のシタエ曽根をかわしたところで相ノ島方向に転じ、本日の実験航海開始。天気晴朗、無風。磯沿いに志賀の海女たちの小舟が点々と浮かんでいる。

 最初は「海王」単船で4.3ノット。0.4ノットの追い潮があるのでまだまだの数字。下川伸也航海隊長が「藤田さんが見ているぞ」と声をかけると、今度は「海王」+「有明」で3.1ノットと快調に。「海王」は手漕ぎの船。漕ぎ手の力加減ひとつで上がったり下がったり。まあ、仕方ないか、人力しかない古代もそういうものだっただろう。

 沿岸はウミガメが産卵に来る白砂青松の地。その福間海岸沖から相ノ島へ。「海王」の艇長・山田甲子朗くん(水産大学校端艇部主将)が生まれ育った相ノ島沖で、漕ぎ手に山田艇長の母校・福岡水産高校の女子カッター部員も加えて力漕。「海王」+「有明」で漕ぎ手を半分ずつ休ませながら進む長距離漕行型の半舷漕行を試み、速度は2.2ノット。このデータでは、日中8時間漕ぎ続けると宇土~大阪間を30日で行ける計算になる。漕ぎ手の汗が、どんどん実験航海の成果を与えてくれる。

 存分に漕いで漕ぎ疲れたところで一路、大島へ。大島港に近づくと突然、大漁旗を押し立てた古代宗像族の末裔たちの漁船が13隻出迎えに。「海王」単船で入ろうとしたが「石棺船を曳いて入ってくれ」とご注文が来た。玄界灘を支配した宗像族に敬意を表して「有明」をつなぎ、漕ぎ手たち最後の力を振り絞って入港。港では、なぜか「シルクロード」の妙なる調べが流れていた。そうだ、ここは海のシルクロードの中継点なのだ。

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