8月1日(9時33分・名護屋港出港、16時40分・志賀島港入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

8月1日(9時33分・名護屋港出港、16時40分・志賀島港入港)

 豊臣秀吉が朝鮮侵攻の拠点とした肥前名護屋を発ち、古代「大王のひつぎ」船団を支援したであろう海の豪族たちの古墳(6世紀)がある加部島を抜け唐津湾口へ。ところが湾側からの風で小さいながらも三角波が立っていて安全のため曳航隊形で博多を目指す。友人に代わって租米を運んでいた志賀島の船頭・荒雄の遭難が万葉集に歌われているように、古代船にとって玄界灘は危険な海だ。天気は曇。途中、平穏なところもあったが博多湾口から志賀島漁港までの5マイルを実験航海隊形でいきたいので漕ぎ手の体力温存のためそのまま航行。14時前に博多湾口西側の西浦崎に達し、「いよいよ歴史上有名な那の津」と勇んで実験航海隊形をとりかけたが、博多湾からの下げ潮が小机島との間の浅い水道を通るためか急に波が高くなり、視認で1.2~1.5m。古代船も大きく揺れ、危険回避のため断念して曳航隊形で入湾。

 静かな博多湾内の大型船航路南側で実験航海隊形に切り替え、「海王」が「有明」を曳いて能古島を目指し、これまでの最高速度である3.2ノットを記録した。志賀島は「海王」「有明」「火の国」の建造地。生まれ故郷に帰ってきて「海王」も上機嫌なのだろう。漕いでは休み、休んでは漕ぎを繰り返すこと1時間半。能古島と志賀島の間の出入航路横断のため一時曳航隊形をとったのをわずかな体力回復時間とし、志賀島漁港南で実験航海隊形を再度整えて入港した。島の人たちの温かい拍手を受けたが、地震被害のせめてもの慰めになればと思う。岸壁で「海王」進水式のリン(出綱)を切ってくれた福岡市漁協志賀島支所の矢田部幸子支所長と再会の握手。その後、兵庫から駆けつけた古代船基本設計者の松木哲・日本海事史学会副会長と一緒に藤田造船に行って、「航海安全祈願」のおいしいビールをゴクリ。

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