7月31日(9時40分・釜田港出港、16時50分・名護屋港入港)

大王のひつぎ実験航海事業

航海日誌

7月31日(9時40分・釜田港出港、16時50分・名護屋港入港)

 天気晴朗、玄界灘は穏やか。午前中、船団に参加している横田浩さんが所属する九州・沖縄水中考古学協会が元寇沈没船の海底調査を続けている長崎県・鷹島に立ち寄ることにし、伊万里湾に入る。調査海域である鷹島南側の神崎沖で2時間の実験航海隊形。途中、急に風が吹き出したのでこれ幸いとその7mの南西風に向かって逆風時の「海王」の速度試験をメニューに入れる。その結果、これまでの巡航速度5ノットに対し、この逆風時速度は2.1ノット。もう少し出そうなもので、これからもこの試験を重ねよう。

 伊万里湾を出て肥前名護屋港に曳航隊形で向かう途中、古代船団にとって重大なトラブルが発生。現代船で曳航中の無人の石棺積載丸太船「有明」「火の国」の棒舵が2本とも海中で折れてしまったのだ。「火の国」は曳航途中で、「有明」は港に着いてそれがわかった。

 棒舵は、櫂(今のオール)を大きめにして舵に転用したもので古墳時代に使われていたため、古代船3隻につけている。「海王」は古代にはないコンクリート岸壁や浮桟橋に自力で接岸しなければいけないため通常時は和船舵を使っているが、曳航時無人の「有明」「火の国」は鞆に棒舵を差している。たまたま「海王」と丸太船を建造した志賀島の船大工・藤田清人さん親子が来てくれていたので、陸に上がって「なぜ折れたのか」とみんなで侃々諤々の議論。結論は、下川伸也航海隊長(水産大学校助教授)が出した「古代船でゆっくり曳いている分にはたいへんよく効く舵だが、現代船で強引に曳き、しかも大型船の航行波をよけるときなどにする急な方向転での水流抵抗で無理がいって折れたのではないか」。寄港地交流のため急いだのが悪かったか、いや地域交流も大きな目的だし・・・。とりあえず1日は予備に積んでいる櫂(オール)を棒舵代わりに出港することに。その装着のため明日も早起き。頭を抱えて、もう寝よう。

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