大王のひつぎ実験航海事業
航海日誌
7月30日(9時35分・大島・馬込港出港、16時43分・釜田港入港)
肥前大島・釜田港出港時の長崎県北部海域の波高予報は2~1.5m。海保との取り決めで1.5以上は実験航海隊形はとれず、しかも平戸瀬戸や関門海峡など狭いところは「安全のためすみやかに通航すること」と指導を受けているので、出港時以外は曳航隊形をとって一路、平戸へ。途中1時間ほど激しいスコールに見舞われ、甲板の学生諸君にレインスーツを着させたり、雨よけテントを張ったり船上はおおわらわ。そのまま雨仕様の甲板で昼食となったが、弁当に雨が降り込んでおにぎりが「水おにぎり」となり、何ともいえない珍味!?
平戸瀬戸南側で水先案内船と合流するころは晴れ。松浦城を横目に「すみやかに通航」するが、中世松浦水軍の本拠地とあって「妙な船団が来た」と陸からにらまれているのではないかと・・・。しかし、平戸大橋の上から拡声機でホラ貝よろしく「大王のひつぎ船団のみなさーん、釜田港はもうすぐです。頑張ってくださーい」と激励の声がかかり、勇んで玄界灘へ。急流の瀬戸から玄界灘に出ると意外に波静か。早速、前島沖で「海王」に石棺丸太船「有明」をつないで実験航海A隊形に。途中、休憩を入れながら漕ぐこと2時間。陸に寄せる2ノットの潮に向け「逆潮での曳航試験」も行ったが、「海王」+「有明」の速度は1.9ノットも出た。(これまでの「航海日誌」で数字の後に?があるのはノットを1角で記したのが受け手の設定書式と合わなかったためでした)
学生さんは疲れながらも港で待っている田平町の人々のためにそのままA隊形で入港。上陸後の歓迎式での踊りの輪に学生も飛び込んだ。港のすぐ上の小山に岳崎古墳を残し、古代「大王のひつぎ」船団をサポートしたであろう海の豪族および中世松浦水軍の末裔たちと交歓。一緒に踊った田平の子どもたちと学生たちの笑顔が印象的だった。