第一回 実験航海に向けて(前編)

第五部 古代と海への挑戦

第一回 実験航海に向けて(前編)

 実験航海まで残すところ一ヶ月余り。公開に向けたこれまでの取り組みを、前編と後編に分けて振り返ります。

夢のプロジェクト始動

 約9万年前の阿蘇山の大爆発で誕生した馬門石。今から約1500年前の古墳時代、一時はヤマト政権が独占するほどの「貴石」であり、江戸時代も細川藩によって公的に管理されたほどの価値がある石でした。ところが、戦後普及した安価なコンクリートブロックの影響で姿を消し、それから長い年月が経過していました。

 馬門石が再び脚光を浴び始めたのは平成10年ごろから。継体大王(天皇)の墓とされる大阪府高槻市の今城塚古墳で、馬門石製石棺が発見されたことがその端緒となりました。

 「こんな長距離を、一体どのようにして運んだのか。」考古学者や地元の地域おこし団体(社)熊本県青年塾のメンバーから、この謎の解明に向けた機運がしだいに高まっていきました。そしてついに石棺の輸送実験という、現代人による古代と海への挑戦「大王のひつぎ実験航海事業」が昨年スタートしたのです。

石棺と修羅の復元に挑む

 石棺と修羅の復元は苦労の連続でした。石棺は今城塚古墳で発見された石棺の破片から復元したもので、素材となる馬門石の原石は重さ約20t。この巨石を掘り出す作業に約3ヶ月を要しました。復元には熊本出身の彫刻家・高濱英俊さんが朝から晩までハンマーを振るって石棺づくりに奮闘し、約2ヶ月かけて昨年7月に完成しました。長さ2.6m、総重量は6.7t。まさしく「大王のひつぎ」にふさわしい重厚かつ美しい姿をしています。

 この石棺を陸上で運ぶ道具が木ゾリの一種である修羅。宇土半島中を探し求め、宇城市不知火町の山中でやっと見つけたアラカシは、地権者の丸目智さんのご好意で無償提供されたものです。木村浩徳さんを中心とする青年塾のメンバーが復元に取り組み、昨年7月、長さ6.2m、重さ2tの堂々たる修羅が完成しました。

1500年ぶり!石棺を修羅で輸送

修羅曳き体験の様子の写真 


 
 昨年7月24日、網津町馬門の大歳神社前で開催された石棺・修羅曳きだしセレモニーでは、地元をはじめ宇土市内外から総勢約300人の参加者が修羅曳きを体験。みんなが力を合わせてロープをひくと「ミシッミシッ」という鈍いロープの音とともに石棺を載せた修羅が動き出し、参加者から大きな歓声があがりました。


 宇土で石棺の修羅曳きが行われたのは古墳時代以来、実に1500年ぶり。参加した人たちは、古代の宇土に生きた人々の並々ならぬエネルギーに驚嘆し、修羅を曳いたときの重量感や動いた時の手の感触などを笑顔で語り合っていました。おそらく一生に一度の貴重な体験であり、忘れがたい思い出になったことでしょう。

 次回は「実験航海に向けて」の後編。実験航海に無くてはならない古代船「海王」とイカダ台船。その設計から復元までの道のりをご紹介します。

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