第五回 馬門石製品のあれこれ

第三部 馬門石にまつわる歴史と人々

第五回 馬門石製品のあれこれ

馬門石製品の写真 


  皆さんは市内各地に点在する馬門石製品をいくつご存知ですか?

 馬門石製品は主に江戸時代から昭和30年頃にかけて造り出されました。江戸時代になると、馬門石の採掘は古墳時代に続き2度目の最盛期を迎え、大量使用が始まります。

 宇土細川藩の御用石として重宝された馬門石の石切場から毎日多くの石が切り出され、次から次に製品が造り出されていきました。馬門石を管理する藩の役人赤石場見締役さえも置かれていました。 

現役で活躍する製品

鳥居の写真

 次に橋、鳥居、祠、塀、石畳など私たちの身近で今も現役で活躍する製品たちを紹介します。

 まずは橋を紹介しましょう。石切場のある網津川流域には多くの眼鏡橋がかかっています。残念ながら本網津橋は平成9年の台風で流出、その他多くは上部がアスファルト舗装され、馬門石製であることが分かりにくくなっているのですが、あじさいの湯近くの平原橋などは当時の姿のまま残っています。また宇土細川藩の船着場・蔵屋敷があった船場にも輪石と欄干に馬門石を用いた単一アーチ橋・船場橋がかかっています。

 次に神社の鳥居や祠ですが、馬門地区の入口には大歳神社があり明治31(1898)年銘のピンク色の鳥居と御神木である樟が私たちを出迎えてくれます。また、地区の中心の小高い丘の上にある赤石神社には祠及び水盤が、更に山手の方にある牧神社にも文化4(1807)年銘の立派な鳥居が設置されています。獅子舞奉納で有名な西岡神社でも馬門石の立派な玉垣を見ることが出来ます。

 私たちの生活の場により近い塀や倉庫にも馬門石が使用されています。伊無田地区には高さ150キロメートル、長さ10mほどの塀や倉庫があり、この一帯は昔ながらの情緒あふれる町並みを形成しています。また、馬の瀬・築籠地区には水量を調節し、田畑を潤すための馬門石製の堰が設置されています。

宇土に欠かせないもの

宇土の町並みにある馬門石製品の写真

 昭和35年頃からは安く大量生産ができるコンクリートブロックに押され、馬門石は次第に使われなくなりました。しかし、これら数々の馬門石製品は私たちのとても身近にあって、宇土の町並みや私達の生活に欠かせないものといえるでしょう。

 次回の4月1日号からは「第4部古代船団が残した足跡」が始まります。西日本各地に分布する熊本で造られた石棺と、運搬航路上に点々と残る熊本的要素を有する古墳についてご紹介します。



 

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