第四回 轟泉水道の大改修

第三部 馬門石にまつわる歴史と人々

第四回 轟泉水道の大改修

轟泉水道の写真 


 
 皆さんは「現存する日本最古の上水道」が宇土市にあることをご存知ですか?その名は「轟泉水道」。


 江戸時代、宇土の城下の飲み水は水質が非常に悪く、町の人々は毎日の飲み水に大変困っていました。そこで、当時の藩主細川家宇土支藩2代藩主・細川行孝公は、町の南西部にある清らかな水が滾々と湧き出る日本名水百選・轟水源から船場橋のたもとにある井戸まで飲料水を引く轟泉水道の設計計画を立てました。

 轟泉水道は、松橋焼の瓦質管を数千個連結し、総延長4.8㎞にもなる大工事で、今から約340年前、寛文3年(1663)に完成しました。

 


 

馬門石製の灯篭の写真

 ところが、敷設から100年が経過した頃、老朽化による水漏れが目立つようになってきました。事態を憂慮した宇土支藩6代藩主・細川興文公は、焼き物より頑丈な馬門石製の水道管に総替えすることを決断しました。

 実はこの興文公、大の馬門石好き。例えば、隠居所の蕉夢庵(宇城市)の台所流しについて、使用する馬門石の色を詳細に指示したり、高さ2ⅿ以上もある馬門石製の灯篭を自ら設計、蕉夢庵の庭に置いたりしました。水道改修に対しても興文公の馬門石へのこだわりは相当なもので、馬門付近の石切場で一般的な灰黒色の石は一切使わず、全てピンク色の馬門石のみを使用しました。推定約7,000本という大量の馬門石製の水道管が使用された大工事であり、興文公の改修にかける情熱は計り知れないものがあります。

 


 

水道管の写真

 現在、水道の利用戸数は約100軒。宇土市轟泉簡易水道組合によって日常的に保守点検が行われています。組合長理事の森昭一さん(定府町)は、「古い水道管なので維持管理がとても大変。でも、300年以上大切に使われてきたので、苦労は多いが後世のためにしっかりと守り伝えていきたい」と保存・継承に取り組む意気込みを語っています。轟泉水道は宇土特産の馬門石を使った江戸時代から続く歴史ある水道であり、宇土市が全国に誇れる第一級の文化遺産なのです。

 次回のお話は「馬門石製品のあれこれ」。 鎌倉から室町時代までは、主に墓石だけの利用でしたが、江戸時代になると大規模採掘が開始され、多種多様な製品が造られました。

 現在も現役で活躍するこれらの製品達に注目してみたいと思います。


 


 

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