第一回 馬門石誕生の軌跡

 第三部 馬門石にまつわる歴史と人々

第一回 馬門石誕生の軌跡

 ピンク色に輝く馬門石はいつ、どのようにして誕生したのでしょうか?そこには地質学の専門家も明らかにすることができない謎が秘められています。

阿蘇山の大爆発

阿蘇の大爆発 地図画像

 今から約9万年前、阿蘇山は活発な火山活動を続けた末、ついに大爆発を起こしました。

 噴煙は天を貫かんばかりに高く舞い上がり、偏西風で運ばれた火山灰は北海道まで達しました。地表では猛烈な勢いで駆け下る1000度近い高温の火砕流が、そこで生活していた動植物を飲み込み、川や谷を埋めつくしました。

 驚くべきことに、その規模は多数の死傷者を出した平成の雲仙・普賢岳火砕流の約100万倍。いかにスケールの大きな出来事であったかがわかります。

 この火砕流が堆積し、冷えて固まり岩層となったものが、阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇石)と呼ばれる岩石です。九州中・北部、熊本県や大分県を中心にして、遠くは山口県宇部市付近でも発見されており、それはそのまま火砕流の到達範囲を示しています。

発色の謎

 阿蘇石の色は、暗い灰色(灰黒色)がほとんどです。宇土でも「ヒャーイシ」(ハイイシの意)と呼ばれています。

 しかし、なぜか、阿蘇石全体からすると1%にも満たない宇土市網津町字馬門の凝灰岩層・馬門石はピンク色、またそのごく一部はベージュ色や黄色、茶色など、色とりどりに美しく発色しているのです。

 阿蘇山を長年研究している熊本大学教育学部の渡辺一徳教授はこう言います。「なぜここに、ピンク色の阿蘇石がこれだけの規模で存在しているのか、まだよくわかっていない。いわば不思議の産物だ」ピンク色に発色した原因として、マグマに含まれていた鉄分が酸化したとの考えがあります。酸化に必要な大量の酸素の供給には、水の関与があったかもしれないと指摘されています。

 また、阿蘇山から勢いよく流れ下った火砕流が山に激しくぶつかって舞い上がり、その際に大量の酸素が供給されて発色、そのまま馬門付近に堆積したとも言われています。しかし、それでも説明できないことが多く、正確な原因はわからないのです。

馬門石の誕生後

馬門石の画像

 馬門石が誕生した後、新しく出来た河川は、その岩層を削って谷を形成しました。そして、いつしかピンク色の岩層は苔むし、周辺はうっそうとした森に変わってしまいました。それから気が遠くなるほど長い年月が過ぎた古墳時代、今から約1550年前のある日、馬門石の岩層を眺めていた古代人はこのようなことを言ったことでしょう。「お墓造りにこの石を使おう。」

 次回は「古代人、馬門石を加工する」と題し、馬門石が使われ始めた古墳時代にスポットをあて、馬門石の利用から見た当時の政治・社会についてお話します。


 


 

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