第四回 石棺の原石を求めて

第一部 プロローグ

第四回 石棺の原石を求めて

 大王のひつぎ実験航海事業で、注目を集める馬門石の石切場跡。実はつい最近まで、地元の人達の記憶からも忘れ去られようとしていた「過去の遺産」だったのです。

馬門石の採掘の歴史

巨石の写真

 1500年前の古墳時代、おそらく馬門地区周辺では2~3ⅿを超える巨石(転石)がゴロゴロしていて、その巨石を使って石棺が造られていたと考えられています。

 その後、鎌倉時代や室町時代に五輪塔などの石造物、江戸時代になると水道管や井戸枠、石橋などの多くの製品が造られ、山の形が変わるほど大量に切り出されました。

 しかし、昭和30年代以降、コンクリートの急速な普及によって馬門石の需要は減り、ほとんど採掘が行われなくなりました。40年以上経過した現在、放置された石切場は人を寄せ付けない深い森になり、往時の姿を全くとどめていません。

困難を極めた原石の採掘

 今年3月、森林と化した石切場から復元する石棺の原石探しが始められました。ところが、多くの石にヒビ割れが走り、約2.5ⅿの大きさの石棺に使える巨石はなかなか見つかりません。作業は困難を極め、全くメドが立たないまま2ヶ月が過ぎようとしていました。

 「本当にひつぎの石は採れるのだろうか・・・」採掘にあたった清田新一さん(網津町)の焦りと疲労はピークに達しました。

 このような苦労の末に、5月中旬、ついに蓋と身になる2つの巨石の採掘に成功しました。

 彫刻家の高濱英俊さんが製作し、7月に完成した石棺の原石は、このような労苦の果てに発見された「宝の石」だったのです。次回は「継体大王のひつぎを復元」です。 

※継体大王が眠る今城塚古墳(大阪府高槻市)から見つかった馬門石製の石棺がモデル。


 


 

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