第一回 馬門石のひつぎをめぐる謎

第一部 プロローグ

第一回 馬門石のひつぎをめぐる謎

馬門石棺分布の画像

 現在、全国的な注目を集めている淡いピンク色に輝く馬門石。約1500年前の古墳時代、この馬門石は、どうして宇土から800㎞も遠く離れた当時の先進地・近畿地方の大王をはじめとする有力者の「ひつぎ」として運ばれたのか?この「宇土を舞台にした日本古代史上の謎」は、考古学ファンだけでなく、私達宇土市民の興味を引き付けて離しません。

 


 

西日本各地で発見

馬門石製のひつぎの写真

 馬門石製のひつぎは、岡山県や大阪府、奈良県、滋賀県の計15ヶ所で見つかっていますが、実際に運ばれた数は50を下らないといわれています。陸上交通があまり発達していない当時、約6tの巨大なひつぎは船を使って海路で運ばれたと考えられています。また、ひつぎの製作場所から船着場までは、修羅と呼ばれるY字の形をした二股のソリに載せて運んだと推定されています。しかし、具体的にどの程度の人数で運搬したのか、どのような経路を通ったのかなどは、全く謎に包まれています。その謎を解くための最も有効な方法は、石棺と修羅、古代船を復元して実際に大海原を航海することですが、様々な制約があり実現するのは不可能と思われていました。

 ところが昨年、この古代の謎に挑もうという人達が次々に名乗りを挙げます。そして、継体大王が眠る今城塚古墳(大阪府高槻市)から発見された、馬門石製のひつぎを復元して大阪まで運ぶという、壮大で夢あふれるプロジェクトが動き出すことになるのです。次回は「動き出した大プロジェクト」です。お楽しみに。

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