轟泉資料館

轟泉資料館

轟泉資料館の写真 


 
   江戸時代、宇土町の地下水は、飲料水としては適していませんでした。そのため、宇土藩初代藩主細川行孝は、家老の佐方源右衛門らに城下町に良質な飲料水を確保するように命じました。そこで、名水として知られる轟水源の水をひく計画が持ち上がり、寛文3年(1663)に轟水源から宇土御屋敷・武家屋敷・宇土町まで松橋焼の土管を使った上水道(約4.8km)を整備し、寛文4年(1664)に完成しました。

  しかし、100年ほど経つと、水道管の傷みが激しくなってきたため、宇土藩5代藩主細川興文(おきのり)は轟泉水道の全面改修に踏み切り、松橋焼の土管を馬門石製の樋管に取り替えました。

  轟泉水道は、現在使用されている上水道では日本最古といわれ、今でも100戸ほどの家庭の飲料水として使われています。

  轟水源地の上にある轟御殿(宇土細川家の菩提寺跡)には轟泉資料館があり、宇土細川藩関連資料や轟泉水道の資料が展示されています。

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