細川藩陣屋跡 ほそかわはんじんやあと
区分
解説
熊本藩2代藩主細川光尚は正保3年(1646)8月、自ら宇土へ赴き、宇土藩初代藩主となる細川行孝の御屋敷(陣屋)建設地を見分のうえ、八代城北の丸(現八代市北の丸町)の家屋を解体し、その時に生じる資材を宇土へ移転する侍衆へ下げ渡すよう命令しました。陣屋とは、城郭のない小藩の大名の居所、屋敷のことです。
初めは地形が高く、水利の便が良い石ノ瀬町(現宇土市石小路町)が候補地でしたが、光尚からの許可が得られず、松山手永段原村のうち、本町筋南側(現新小路町宇土市教育委員会付近)を宇土細川藩陣屋と武家屋敷地に定めました。
正保4年(1647)9月頃には宇土御屋敷が完成したと思われ、同月の下旬には行孝の荷物が八代から積みだされました。
関連
本三丁目御門・門内界隈
所在地
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