不知火諾右衛門の墓 しらぬいだくえもんのはか
区分
宇土市指定史跡(昭和51.5.20)

解説
不知火諾右衛門は、享和元年(1801)10月宇土郡轟村栗崎(現宇土市栗崎町)に生まれ、本名は近久信次といいます。
文政6年(1823)大坂相撲の湊由良右衛門に入門し、四股名を戸立野から白川、さらに黒雲と改めて上取へ進みました。入幕を機に濃錦里諾右衛門と名を改め、天保10年(1839)には大関に昇進しました。ここで熊本藩のお抱えに迎えられましたが、関脇に下り、再び大関のときに不知火と改名し、天保11年(1840)11月には吉田司家から第8代横綱の免許を受けました。諾右衛門の詳しい経歴については紙芝居を参照してください。
嘉永7年(1854)7月に54歳で亡くなりました。諾右衛門の墓は出生地の丘の中腹にひっそりと立っています。
関連
紙芝居「郷土が生んだ横綱」
所在地
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