石ノ瀬遺跡 いしのせいせき
区分
解説
縄文時代早期の土器が出土することから,その時期には人が生活することのできる陸地となっていたことがわかります。
弥生時代中期前半の弥生式土器や朝鮮系無文土器のほか,古墳時代の埴輪などの遺物も発見されています。
しかし,中世末~近世初期に,宇土城下の東の守りとするための出城が当地に築かれたことで,それ以前の遺構は大きく破壊されてしまいました。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後には,加藤清正の宇土攻めの最初の攻撃目標とされ,激しい戦いの舞台となりました。
江戸時代には,宇土細川家屋敷をはじめとする武家屋敷造成のための埋め立て用土砂が当遺跡付近から採取されたほか,近代以降の市街地化の影響などによって,現在は当時の面影をあまりとどめていません。
関連
石ノ瀬遺跡出土品・石ノ瀬城跡
所在地
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