本市宮庄町に所在する「轟貝塚」を国史跡に指定するよう令和4年6月17日付けで国の文化審議会から文部科学大臣に対して答申がなされました。
国史跡とは、「貝塚、古墳、都城跡、城跡、旧宅、その他の遺跡で、わが国にとって歴史上または学術上価値の高いもののうち重要なもの」を文部科学大臣が指定したものです。
今回の答申後、官報告示を経て正式に国史跡として指定される予定です(時期は未定)。
これにより、本市の国史跡は、昭和54年に指定された宇土城跡(西岡台)に続いて2件目、国の指定文化財としては、国史跡「宇土城跡(西岡台)」、国重要文化財「肥後向野田古墳出土品」(昭和54年指定)、国重要有形民俗文化財「宇土の雨乞い大太鼓附関連資料」(平成29年指定)に続いて4件目となる見通しです。
「轟貝塚」とは?
有明海沿岸部に位置する縄文時代早期末から後期中葉にかけての貝塚を伴う集落で、九州や西日本の縄文時代早期末から前期の指標となる轟式土器の標式遺跡です。中心部に形成された同時期の貝層の内外からは埋葬人骨が多数検出されており、当時の生業や古環境、墓制を知る上で重要な遺跡です。