馬門石石切場跡 まかどいしいしきりばあと
区分
解説
宇土市網津町・網引町は、中世には利用が減少するものの、古墳時代から昭和に至るまで連綿と採掘されてきた馬門石(阿蘇溶結疑灰岩)の産地です。なかでも、ピンク色の色調を帯びたものに特徴があり、古墳時代には瀬戸内から畿内にかけての特に有力な権力者の棺に用いられたほか、江戸時代には藩の御用石となり、改修された轟泉水道の石製の樋管などに使われました。
馬門石切丁場跡は網津川左岸に所在しています。灰黒色とピンク色の馬門石が主要な色調であり、一部にベージュ色やオレンジ色の露頭も存在します。
野添石切丁場跡は網津川右岸の野添山南側から西側山麓に位置します。灰黒色と灰白色の馬門石も野添山南西側山麓を中心に分布します。
清辻石切丁場跡は北側の清辻丁場跡と這坂(はさか)丁場跡に分けられます。灰黒色や灰白色の馬門石が主体ですが、一部にピンク色の馬門石も分布します。
これらの石切丁場をまとめて馬門石石切場跡といいます。
関連
馬門石石切場跡出土品・紙芝居 大王のひつぎ(サイト内リンク)
所在地
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