花園陵墓参考地

花園陵墓参考地  はなぞのりょうぼさんこうち

区分
はなぞのりょうぼさんこうちの写真 
 
解説

 当古墳には、安徳天皇の陵墓という伝説があり、宮内庁によって陵墓参考地に指定されています。

   安徳天皇は、治承2年(1178)、高倉天皇の第一皇子として誕生しました。治承4年(1180)にはわずか2歳で即位しましたが、政治の実権は祖父の平清盛が握りました。

   当時、平氏政権に対する反乱が各地で起こっていました。その中で、寿永2年(1183)に木曽義仲が京都へ迫った際、安徳天皇は平宗盛に連れられ京都を出ました。しかし、寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いにおいて、わずか8歳であった安徳天皇は、清盛の妻である時子に抱かれて海に沈み、平氏と命運を共にしました。

   しかしながら、この古墳の実際の築造時期は5世紀後半とみられ、「晩免古墳」という名称で宇土市の史跡に指定されています。

関連

 晩免古墳

所在地

 宇土市立岡町所在地  宇土市立岡町の地図 


 

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