舞鶴合資会社 まいづるごうしがいしゃ
区分
解説
上羽勝衛や林田清太郎らの電灯会社と精米所の創設計画、村田権蔵のマッチ製造所設立計画の3つの独自起業の動きが1つになって、明治28年(1895)7月25日に舞鶴合資会社が設立されました。
燐寸事業は、マッチ製造の原料のほとんどを大阪に依存していましたが、後に軸木については県下の人吉から「タルミ」の木を入手するようになりました。
電灯事業は、熊本県における電灯事業の始まりが明治24年(1891)創業の熊本電灯株式会社であり、これに次ぐ試みであったため、容易な事業ではなく、明治30年(1897)の営業実績報告をみると、上半期・下半期共に赤字続きでした。
明治31年(1898)3月に、舞鶴合資会社は経営の大改革が行われたとみられますが、判然とせず、「精穀並洗湯業」に限り林田たちの手を離れ、燐寸部・軸木部・電灯部については売り渡されなかったようです。
関連
所在地
宇土市築籠町