寛政の津波供養碑 かんせいのつなみくようひ
区分
宇土市指定史跡(平成6.1.19)
解説
熊本県の災害碑のなかで、同一の災害による碑の建立数が群を抜いて多いものは、寛政の大津波による供養塔や記念碑で、熊本県内で74基確認できます。寛政4年(1792)に生じた普賢岳の火山活動により前山(眉山)が崩壊し、それにより引き起こされた大津波被害は有明海沿岸に甚大な被害をもたらしました。
犠牲者の数はおよそ肥前で1万人、肥後で5,000人を数えました。『寛政四年四月朔日高波記』によると、宇土郡の合計死者数は1,266人であり、大きな被害を被ったことがわかります。
この塔は、被害の大きかった玉名郡、飽託郡、宇土郡の3ヶ所に同種の供養塔が造立されたことにより、別名「一郡一基の塔」と呼ばれています。
関連
円応寺の供養塔・溺死仮葬塔・溺死法界供養塔・百回忌供養塔・名号溺死想霊塔
所在地
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