轟貝塚 とどろきかいづか
区分
宇土市指定史跡(昭和33.3.14)

解説
当貝塚は轟式土器の標式遺跡(時期区分の基準となる遺構、遺跡が検出された遺跡のこと)として著名な貝塚遺構です。
正確な範囲はわかっておらず、現地表面から採取される貝片は粉々に砕けたものがほとんどで、土器片についても同様です。
轟貝塚を含め、周辺の土地利用は、古くは縄文時代早期にまでさかのぼることができます。その他の縄文時代では、前期、中期、後期前半に断続的に生活の痕跡が認められます。縄文時代以後も、弥生、古墳時代、さらに古代、中世においても遺物、遺構が認められ、長い間利用されてきたことがわかります。轟水源が近接していることも、遺跡が連綿と続くことに少なからず影響していると想像できます。
関連
轟貝塚出土品
所在地
宇土市宮庄町 轟貝塚の現地案内図はコチラ(PDF 約534KB)
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