温知館跡 おんちかんあと
区分
宇土市指定史跡(昭和33.3.14)
解説
宇土藩5代藩主細川興文は儒学に熱心な人で、宝暦13年(1763)に熊本藩の儒学者江口恵次郎や河添矢五郎を招いて藩校温知館を設立しました。その名称は論語の「温故而知新」(古きをたずねて新しきを知る)からとったものと思われます。
学科は修身学・史学などがありましたが、判然とした区別はありませんでした。授業は毎日午前9時に始まり、習字の授業があり、11時より読書、午後1時に終わります。
学校経費はすべて藩で賄い、生徒は入学金や謝礼・授業料は不要となっています。ただし、入学できるのは藩士の子弟のみで、藩士の教育機関であるので格式・禄高の高い嫡子が重視されました。
就学の年齢については宇土藩の場合記録はありませんが、一般的に8歳での入学が普通だったようです。
関連
樹徳斎跡・寺子屋・武館跡
所在地
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