長福寺跡薬師堂 ちょうふくじあとやくしどう
区分
宇土市指定史跡(昭和42.5.30)
解説
- 創立年代・・・鎌倉時代か?
- 本 尊・・・・薬師如来
薬師堂は雄岳の中腹にあります。ここには元徳3年(1331)の墨書銘のある薬師如来1躯、銘文のない薬師如来1躯及び十二神将(大半は失われています)が安置されていました。現在、薬師堂がある寺域内には、鎌倉時代の特徴を有するおびただしい数の五輪塔があり、市内では珍しいものです。
かつてあった本尊の薬師如来像の銘文によると、元徳2年(1330)閏6月以来、疱瘡(ほうそう/天然痘の俗称)が流行ったのでこれをなくすために3尺(約91センチ)の薬師如来像を造立・供養したらしいことがわかります。長い間、寺の名前は不明でしたが、薬師如来の胎内銘の発見により、長福寺の名称が明らかになりました。
関連
長福寺跡薬師堂の薬師如来立像
所在地
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