小西行長公ゆかりの地を巡る見学ツアー
第一弾ツアーレポート
日時 | 平成23年9月23日(金)13時30分~15時30分 |
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見学地 | 船場橋~宇土城跡~轟水源~大太鼓収蔵館 ドラマ撮影風景も見学(宇土市立図書館にて) 市教育委員会文化課の藤本貴仁参事が現地で説明を行いました。 |
参加者 | 16名県外(東京、大阪、長野)からの参加者もあり、船場橋界隈や近世宇土城跡など 小西行長公の足跡をたどりました。 |
当日のツアーの様子
船場橋界隈
ここは船場橋界隈です。船場川は、16世紀末の小西行長の宇土城築城と城下町整備に伴って整備したと伝えられています。水運による物資運搬としての利用だけでなく、北側に隣接して石ノ瀬城跡が配置されていることから、宇土城跡とその城下を守るための防御的機能もあったと推定されます。
石ノ瀬城跡
ここは石ノ瀬城跡です。現在では、当時の面影は残されていませんが、中世末~近世初頭、宇土城下の東の守りとするため、石ノ瀬付近(宇土市石小路町)に出城が築かれました。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦直後には、加藤軍による宇土攻めの最初の攻撃目標とされ、激しい戦いの舞台となりました。「肥後宇土軍記」によれば、小西勢は石ノ瀬の町口の木戸を閉じ応戦したが防ぎきれず、加藤勢が城下へ流れこんだことがわかります。
近世宇土城跡
ここは近世宇土城跡です。近世宇土城は東西約550m、南北約500mの規模を有し、宇土高校全体も城の中に入っています。幅約20mの堀で囲まれた本丸(標高約16m)を核として、二ノ丸や重臣が居住した三ノ丸を幅約30~40mの大規模な堀で防御し、本丸北側に堀割をもつ家臣屋敷群を整備するなど、本丸を中心とする求心的で堅固なお城でした。城の近くには緑川河口部に通じる運河が開削され、船が行き来したと考えられています。まさにイエズス会宣教師から「海の司令官」と呼ばれた行長らしい城といえます。
大太鼓収蔵館
ここは大太鼓収蔵館です。小西行長公の足跡と直接関係はありませんが、宇土市に残された「雨乞い大太鼓」も見学しました。参加者は、大太鼓の大きさにビックリ!思い思いに太鼓を叩き、その音の響きに驚いていました。これらの太鼓は、江戸時代から明治時代にかけて、村々が豊作を祈る「雨乞い」や「虫追い」の行事のために所有していたものです。一時は衰退し、太鼓も放置されていましたが、「ふるさと創生資金」を活用し、太鼓の修復と大太鼓収蔵館が建設されました。いまでは宇土市の「大太鼓を活用したまちづくり」の礎になっています。
銅像前記念写真
今回の見学ツアーを記念して、銅像前で記念撮影。なんと!この写真はドラマ「海の司令官 小西行長」のラストシーンでも使われました。行長公を慕って、みんなが集まっているよう・・・
参加された方々の感想
- 宇土市生まれ育ちですが、知らなかったことばかりで、楽しい見学ツアーでした。
- 行長公に更に近づけた思いです。
- 十年前に興味をもって史跡巡りをした場所が、地元の人に大事にされているのを見て嬉しく思いました。
- 宇土における行長の都市計画など、とてもわかりやすく説明していただき大変おもしろかったです。行長の人間的な部分に触れるような小西行長の資料展を宇土でも開いてほしいと思います。(八代博物館でも見ましたが)
- 非常によかったです。転入者ですが、小西行長を知ることで、宇土市がますます好きになりました。
- 宇土市外のゆかりの地も巡りたいです。
- 韓国にあるゆかりの史跡に行きたい。