如来寺遺跡 にょらいじいせき
区分
宇土市指定史跡(昭和47.12.23)
解説
創立年代・・・文永6年(1269)
文永6年(1269)、古保里越前守の娘と伝えられる素妙尼に請われ、寒巌義尹(かんがんぎいん)が三日村(現宇土市花園町三日)に三日山如来寺を開きました。ただ、本尊である釈迦如来像の胎内からみつかった銘文によると、正元2年(1260)に寒巌義尹が尼修寧と共に「如来院」を建立し、創立年代が9年さかのぼることになります。また、『国郡一統志』には、義尹の如来寺開創に際して、北条時定(為時)の命で、時定やその子定宗に近侍したと考えられる和泉守道恵が如来寺の境界を定めたことが記されています。
如来寺は、貞和3年(1347)に肥後国利生塔に指定されました。これは暦応3年(1340)に足利直義が如来寺に仏舎利2粒を奉納したことが考慮されたものと思われます。
永正元年(1504)に上古閑村(現宇土市岩古曽町)に移転し、現在も岩古曽町に所在します。
関連
安国寺・利生塔・寒巌義尹の墓・三日山如来寺・寿勝寺跡・木造阿弥陀如来坐像・木造釈迦如来坐像・木造薬師如来坐像
所在地
より大きな地図でデジタルミュージアムを表示